昨日、吉野川の水量が少なく魚道の登口にクラゲがいると書いたが魚道に来て驚いた事が他にも幾つかあった。
先ず、驚いたのが魚道の登り口に鷺が魚を求めて沢山群がっている。ところがである。ここに誰がやったか知らないが鷺鳥と思われる鳥の死骸をぶら下げてある。おそらく上り鮎を鷺に取られることを防ぐためであろう。その近くには漁協の監視小屋もあり人もいるようである。それにしても、この様なことが許される風土なのかと自分を含め色々な意味で寂しく成った。
次いで、自然の脅威である。上流から色々なものが水に交じって流れ来る。そのもの全てがこの堰に当たり通過して行くもの、ここに残るもの等々である。しかし、その一つ一つがここに敷かれたブロックや阿波の青石に激突したことであろう。その痕跡がここのブロックに残っている。堰に敷かれた全ての石やコンクリートブロックに角が一つもない。
今更ながら第十堰は巨大なダムに匹敵するスケールだと実感した。この堰を発案・施工した先人に敬意を表しながら堰をあとにした。
もう一度書きたい、鳥の死骸を脅しに使うのは許される時代ではない。と自分は思う。
明日 5月20日はローマ字の日
1927年5月20日 リードバーク、ニューヨークから大西洋単独飛行に出発、翌日パリに到着
1978年5月20日 新東京国際空港開港