尾根の散策

家庭菜園と日々の営み

50余年の歳月

昨夜の忘年会、何んと云っても誇り高き我が青春時代の想い出多い会場での開催であった。50余年前、超就職難(65人採用に850名の応募)の時代難関を突破して就職した会社。そこに東大漕艇部のキャップテンをしていた男がいた。この男が徳島工場にボート部を創設。
部設立と共に参加した一期生達の忘年会(兼OB会)である。当時の国体等では主力のナックルフォアで中四国選手権優勝・関西レガッタ準優勝・熊本国体5位等々華々しい成績を収めた。それは東大漕艇部のキャップテンをしていた彼の結うことは神さんのお告げと同じ感覚で皆必死に練習した。その時代の部員8名が集まった忘年会であった。50余年前年頃の娘であった女将も今では70歳。女将を交えて何の遠慮も無く「すき焼き」を突きながら往時を偲び楽しい一時を過ごした。
合宿での「すき焼き」こそ我々の活力源であった。我々仲間で合宿の「すき焼き」を語るだけで話は尽きない。そんな仲間の忘年会であった。
 
この機会に徳島県の漕艇協会と徳大・市立高校のボート部設立時の事を少し残して置きたい。
徳島県漕艇協会設立関係
自分達が徳島県に初めてボート競技を導入すると共に協会を設立(事務所を会社内に置く)したのはそれなりの理由がある。各種大会は協会所属でなければ国体等に出場出来ない。徳島県漕艇協会設立時の協会役員は大学時代に漕艇選手であった方を探しお願いした。会長に児玉徳大学長、理事長は鈴木徳大医学部学生部長、評議員会長岡田徳大学芸部長、その他徳島相互銀行専務、白水園ホテル社長等県内の重鎮にお願いしていた。事務局長が我が監督・相馬勇(故・元東大漕艇部主将)この方々への使い走りが私の役目でもあった。
 
徳島市立高校漕艇部設立に尽力
柳校長の英断で漕艇部設立。監督に我がクルーOBの秦君が就任。柳柳校長は市高定年後、名門灘高校
徳大ボート部は鈴木医学部長の指導で医学部学生が中心に成り創部した。監督に我がクルーOBの朝井君が就任指導に当たった。
その後、自分は転勤で徳島を離れたので記憶にない。
 
市高ボート部OB(一期生)には現徳島商工会議所近藤会頭をはじめ多くの方が活躍されている。誇りに思うと共に
 
嬉しい限りです。
 
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 4